裁判例

5.賃金

5-3 「賃金と他の債権の相殺」に関する具体的な裁判例の骨子と基本的な方向性

基本的な方向性

(1) 使用者が労働者の債務不履行又は不法行為を理由とする損害賠償債権を自働債権として労働者の賃金債権と相殺することは賃金の全額払い原則違反として許されません。 
(2) 労働者がその自由な意思に基づいて相殺に同意をしたと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するときには、合意を得てした相殺は有効です。
(3) 過払賃金の清算のための調整的相殺は、過払いのあった時期と賃金の清算調整の実を失わない程度に合理的に接着した時期に、労働者にあらかじめ予告され、その額が多岐にわたらないなど、労働者の経済生活の安定を脅かすおそれのない場合には、全額払い原則違反とはいえません。

関西精機事件(S31.11.02最二小判)

【事案の概要】
(1) 営業不振のため休業したY社の従業員Xは、休業中も賃金を支払うとの約束が一部しか履行されなかったことから、未払い賃金の支払いを求めてY社を提訴したところ、Y社はXの債務不履行による損害賠償とXの賃金債権との相殺を主張したもの。
(2) 大阪高裁はY社の主張を認めたが、最高裁は、相殺は賃金の全額払い原則に反し許されず、この点の審理が不十分であるとして、高裁判決を破棄差し戻した。
【判示の骨子】
(1) 労働基準法24条1項は、賃金は原則としてその全額を支払わなければならない旨を規定しており、これによれば、賃金債権に対して損害賠償債権をもって相殺することは許されないと解される。
(2) 高裁判決が、賃金額を確定することなく、漫然とその全額について、Y社のXに対する損害賠償債権による相殺の意思表示を有効と認め、これによりXの賃金債権は消滅したものと判断したのは、法律の適用を誤った結果、審理不尽理由不備の違法を犯したものである。

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日新製鋼事件(H02.11.26最二小判)

【事案の概要】
(1) 破産した労働者Xは、破産を申し立てる前に、使用者Yとの間で、Yからの借入金の返済の一部に自分の退職金等を充当することを同意していたが、Xの破産管財人X2は、かかる措置は労基法の全額払い原則に反するとして、退職金の支払いを求めて提訴したもの。
(2) 大阪地裁・大阪高裁ともに、本件相殺は合意によるものであり、労基法の全額払いの原則に反しないとし、最高裁もこれを維持し、上告を棄却した。
【判示の骨子】
(1) 労基法24条1項の賃金全額払の原則の趣旨とするところは、使用者が一方的に賃金を控除することを禁止し、もって労働者に賃金の全額を確実に受領させ、労働者の経済生活を脅かすことのないようにしてその保護を図ろうとするものであるから、使用者が労働者に対して有する債権をもって労働者の賃金債権と相殺することを禁止する趣旨をも包含するものであるが、労働者がその自由な意思に基づき右相殺に同意した場合においては、右同意が労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するときは、右同意を得てした相殺は労基法24条1項に違反するものとはいえない。
(2) 本件では、Xは、会社の担当者に対し各借入金の残債務を退職金等で返済する手続を執ってくれるように自発的に依頼しており、委任状の作成、提出の過程においても強要にわたるような事情は全くうかがえず、退職金計算書、給与等の領収書に署名押印をしているのであり、右各借入金の性質及び退職するときには退職金等によりその残債務を一括返済する旨の各約定を十分認識していたことがうかがえることから、本件相殺におけるXの同意は、同人の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在していたものというべきである。
(3) このような事実関係からすると、本件相殺が労基法24条1項に違反するものではないとした原審の判断は、正当として是認することができる。

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福岡県教組事件 (S50.03.06最一小判)

【事案の概要】
(1) Y県は、昭和33年5月21日に公立学校の教職員Xらに支給した給与中に1日分の給与の過払があったことから、同年8月21日に支給された給与から減額したところ、Xらはこれを不当として、減額分の返還を求めて提訴したもの。
(2) 福岡高裁は、3か月経過した後の賃金との相殺は、時機を逸しており、例外的に許容される場合に該当しないとし、最高裁もこれを維持し、上告を棄却した。
【判示の骨子】
(1) 賃金過払による相殺は、過払のあった時期と賃金の清算調整の実を失わない程度に合理的に接着した時期においてなされ、その金額、方法等においても労働者の経済生活の安定をおびやかすおそれのないものである場合にかぎり、許されるものと解される。
(2) Y県は、過払分を翌6月分の給与から減額することが可能であったのに、8月分の給与から減額を行ったものであり、その遅延した主たる理由は、減額をすることの法律上の可否等の調査研究をしながら、当時同種事案をかかえていた東京都の動向を見守っていたところにあるのであるから、本件相殺は、これをした時期の点においていまだ例外的に許容される場合に該当しないとしている原審の認定判断は、正当として首肯することができる。

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